犀の角の日記

ブログ、はじめました。そいつで大きくなりました。

日記

 ‪ぼんやりと、自分の周りの人間関係について考えていた。正直言ってもう嫌気しか差していないが、頭に浮かんでくるんだから仕方がない。なのでぼんやりと考えた。そこでひとつ思い出したことがあった。それは「自分を大切にしてくれる人を大切にすること」である。

 俺はどちらかというと、人間的に問題のある方だ(と自分では思っている)。なので人から喜ばれるようなことばかりしてきたわけではない。むしろ嫌がられる方が多かっただろう。
 だが、そんな俺でも良いことをすることがある。それは意図してやってる場合もあれば、意図せずに行っている場合もある。そんなときに、自分に感謝してくれる人が意外といることにふと気づいた。思い返してみると、何気なくやった善行であっても「あれやってくれて助かりました」「ありがとうね」などと言われることがある。自分では特に気にせずやっているので気に留めないのだが、ふと振り返ってみるとそういうことが思いの外あった。
 一方で、感謝の言葉を言わない人もいる。これに関して僕は別になんとも思わない。そもそも感謝してほしいからとか、喜んでほしいからやっているのではなく、単純に自分がそうしたいからやっているだけである。なので、むしろ自分としては感謝されてびっくりすることが多い。「え? そんなことで感謝されんの? なにゆえ?」みたいな。

 上に書いたような「意図しない感謝」をなんとなく思い出すうちに、「自分を大切にしてくれる人を、大切にすること」を思い出した。自分を大切にしてくれる人は、やはりいる。確実にいる。その一方で自分のことを別に大切にしていない人間もいる。ならば後者のことなど気にせず、むしろそんな人を気にしてる暇があるのならば、前者への思いやりにその暇を回すべきではないのか。自分のことをテキトーに扱う奴を大切にしてやる義理はない。勝手にやらせておけばよいのだ。俺も勝手にやらせてもらおう。
 この考え方は確かに精神衛生上良いだろうが、反面で自分にとって耳障りの悪いことを聞かなくなる危険がある。それは否定しきれない。もしかしたら自分は今後もっと自分勝手な人間になってしまうかも知れない。もちろんそうならないように気をつけるつもりではいる。ただ、仮に本当にただの自分勝手なクソ野郎になったときには、自分の周りにいる誰かがそれを諭してくれるだろう。そうなることを期待して、今日は終わろう。