犀の角の日記

ブログ、はじめました。そいつで大きくなりました。

ほぼ最悪

 久しぶりに精神状態がほぼ最悪になった。最後にこのような状態になったのが去年の9,10月頃なので、約半年ぶりということになる。ちなみに前回は月を重ねるごとに悪化していき、11月〜翌2月下旬は本当に「最悪」な状態になった。今回はそこまで落ちてはいないのが不幸中の幸いか。2020年4月24日現在、その「ほぼ最悪」状態からも若干抜け出しつつあるため、最近思ったことを書いていこうと思う。

 俺が「最悪」になる原因の大半が人間関係によるものだと思われる。何も俺に限ったことではないかもしれないが、とにかく俺は人付き合いで苦労するところが多い気がする。以前性格診断で「察しが良すぎる」と書かれたことがあった。この結果を鵜呑みにするのもどうかと思うが、やはり察しすぎて(予想しすぎて)苦労する場面が多い。「AをすればBが起きる。Bが起きればCも起こる。そしてCが起きればDが、Dが起きればEが……」といったように、あることをきっかけに事態がどのように動いていくのかを考えすぎる。そして考えられうる一切の悪い事態を避けようとして行動する。行動するのだが、その意図は他人に説明しない。なぜ説明しないのかというと、説明するとまた別の悪い事態が生じるからだ。
 俺は、すべての人間が①相手の話をきちんと聞き、②それをもとに考え、③実行に移せる理性的存在者だとは思っていない。人間の多くは①〜③のいずれかひとつでもできるか知れたものではない、という認識でいる。いわんや①〜③のすべてをや、である。①を行っただけでも悪い事態に陥る場合が殆どだ。そのため俺は説明しない。もちろんすべての人間が①〜③を実行可能になればいいとは思う。だがそれはあまりに理想的すぎる。おお、神よ、なぜあなたはこのような世界を、人間をお造りになられたのか。

 俺は何かを実行するとき、基本的に人に相談等をしない。それは想定可能なあらゆる悪い状況を少しでも回避するために、である。そのため他人から「あいつは何を考えているんだ」と思われようが基本的には気にしない。僕の行動があまりに常軌を逸した場合には気にするが、そうならないように常々気をつけてはいるし、そうなったとしても他者からの意見は聞き入れるようにしている。
 …しかし僕が予想する以上に、人間とは感情で動く生き物であり、思考を働かさない(働かせることができない)生き物なんだなと、改めて身をもって実感した。やはり俺は他人に期待しすぎる。「ここまでやれば・言えば、それぐらいはできるだろう」と思っていても、実際にできているのは予想の5割がいいところである。本当に、自分の馬鹿さ加減に笑いがこみ上げてくる。俺は他人を、人間を知らなさすぎる。人間がどれほど愚かなのかについてあまりに無知である。今までも何度も同じ目に遭ってきてこれなのだから、もはや笑いが止まらない。他人は、人間は、そしてなにより俺は、いったいどこまで愚かな生き物なのか。怒りや呆れを通り越して、もはや面白くなってくる。これが喜劇でなくてなんだというのか。

 やはり、他人に期待するものではない。個々の人間(のもつ能力)を信頼し過ぎてはいけない。全く信じないのも、それはそれで問題がある。そのためある程度は信頼せねばならない。しかし、深入りは禁物だ。もうこんな思い、2度としたくない。