犀の角の日記

ブログ、はじめました。そいつで大きくなりました。

最近の僕のツイートについて

 最近僕のツイートは、自分の好きなことを語るものが多いが、他人へ向けたものも多い。なぜ他人に向けたものが多いのか。それは、これまで僕と付き合いがあった皆さんとは今後、接点が極端に——少なくともこれまでよりは確実に——減っていくだろう、という予感があるからだ。

 もちろん、会おうと思えば会えるだろう。互いの予定の調整次第ではそういったことは十分可能である。そういう意味での接点は十分ありうる。問題は心理的な接点の方だ。

 

 僕が今一番興味があって、これからもやり続けたいことは、ごく手短に言えば「既存道徳の批判と修正」である。この既存道徳とは、僕自身や皆さんを含めた、世の中の多くの人が受け入れているものでもある。それを少しでも変えていきたいと思っている。(なお、この僕らが今現在受け入れている既存の道徳と、僕が求める道徳の違いについては、また別の記事で書くのを予定している。そのためこの話題について興味のある方は、是非そちらも読んでいただきたい。)

 

 僕がやりたいことは既成の道徳観の変更であり、否定だ。そうした道徳観の否定を僕が行う中で、時には僕のやっていることに対して、疑問や反感を感じることもあるだろう。そしてその疑問や反感から、僕との心理的・物理的距離を置こうと思う人もいるだろう。

 そうした距離の開きが生まれてこないことを、僕は祈っている。しかし、もし生まれたとしても、それを縮めたいとは特に考えていない。できることなら距離が開かないようにしたいとは思っているが、だからといってそれを中心に行動するつもりはない。みんなのことはもちろん大好きだし大切だ。だがそれ以上に、僕の中にある道徳への疑問について、納得のいくまで考え抜いてなんらかの答えを出したいという気持ちを、僕はより大切にしたい。

 もちろん、そんな距離ができないことが一番望ましいことである。また距離が生まれたとしても、それがさらに後に縮まることも十分ありうる。だけど何がどうなるかなんて、そんなこと誰にも分からない。ラプラスの悪魔がどこにいるのか、そして僕らにその叡智を授けてくれるかどうかを、僕らは知り得ないのだ。

 

 距離が生まれることは、少なくとも僕の本意では全くない。しかし仮に距離が生まれてしまったとしても、僕はそれをしょうがないことだと受け入れる。申し訳ないが、とても大切な皆さんよりも、更に大切なものが僕にはある。その中で僕と皆さんは離れていってしまうかもしれない。そしてその距離は一度生まれたら最後、ずっと縮まらないかもしれない。

 それならば、その時が来る前に、伝えられることや伝いたいことがあるなら、今のうちに伝えておきたい。伝えておくべきだ。そう考えて、僕は自分の周りに居てくれる人や、かつて居てくれた人に向かってツイートしていたりする。

 

 僕は周囲の人々に本当に感謝している。僕はあなた方に対して、とても失礼な態度をとっていた。それは今でもあるかも知れない(なるべく気をつけてはいるが)。また態度以外にも、色んな迷惑を沢山かけてきた。大学で知り合えた方々はもちろんそうだし、高校までの友人たちにも不快な思いをさせてきた。

 それでも一緒にいてくれたことに、伝えられないぐらい感謝の気持ちがある。本当にありがとうございます。皆さんがいなければ、僕は絶対にどこかで死を選んでいました。それでも生きていようと思えたのは、皆さんが僕の近くに居てくれたからです。皆さんが僕の孤独を紛らわせてくれたおかげです。

 高校からの友人、大学の部活を通じて知り合えた諸先輩方や後輩たち、そして同期であり仲間である友人たち、あるいはネットで知り合えた方々へ。同じ言葉しか出てきませんが、本当に本当に感謝しています。

 

 これまでもそうでしたが、今後僕は僕のやりたいことに向かって、今まで以上にやっていきます。そのため、もう皆さんとの接点がなくなってしまうかも知れません。ですが、接点がなくなったとしても、僕は自分の向かう方向をきっと変えませんし、変えられません。

 しかし、たとえそうなったとしても、僕はいつまでも皆さんが大好きですし、ものすごく大切に思っています。こんな面倒くさい僕に付き合ってくれた、全ての人に感謝と愛情をもっています。これまで本当にありがとうございました。僕が嫌になったら、そのときは遠慮などしないでください。しかし願わくば、こんな僕ですが今後も変わらず付き合っていってくれると大変嬉しいです。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。