犀の角の日記

ブログ、はじめました。そいつで大きくなりました。

バンプ再聴

BUMP OF CHICKENの実に6年?振りとなるオリジナルアルバム「aurora arc」がリリースされましたね。そこで「aurora arc」含めバンプのオリジナルアルバムを再び聴き返しながら、諸作業をして最近を過ごしておりました。

 

僕はバンプの熱烈なファンというわけではありませんが、好きなバンドの1つではあります。聴き始めたのは高校生の頃だったでしょうか。何がきっかけだったかは今となっては定かではありませんが(恐らく某ウロボロスくんの影響かと思われます)、「聞いたことのあるバンド」から「好きなバンド」になったのはその頃で間違いないのは確かです。

 

さて、「バンプは変わった」という言説を時折目にします。特に「ray feat. HATSUNE MIKU」発表時には顕著だったように思われます(何しろボーカロイドとのコラボですからね。まさに前代未聞のことであり、バンプファンのみならず、邦楽ファンにとっても多かれ少なかれ衝撃的だったことでしょう)。僕も一にわかファンとしては、「バンプは変わったな」と思います。しかし、この初音ミクとのコラボだけを取り上げてそう言うつもりはありません。これについて付言するならば、「これは挑戦であり、可能性の探求のひとつである」といったところであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

 

バンプは変わったな」と先程僕は書きました。変わったと思う点は大きく分けて以下の2つです。

①楽曲のもつ色彩

②歌詞

 

①は「色彩」という言葉のせいで一見分かりづらいかもしれませんが、要は幅のことです。アルバム「RAY」と「butterflies」ではそれまでのバンドサウンドに加えて、エレクトリカルな音が印象的です。彼らのインタビューなどに目を通しているわけではないため真意のほどはわかりませんが、恐らく何かしらの変化や挑戦をしたかったのでしょう。「aurora arc」ではアコースティックなアレンジが目立ちますが、この頃の経験はこのアルバムの中でも息づいていると思います。

 

②について。個人的には、ロックバンドとしてのBUMP OF CHICKENは「orbital period(以下、orbital)」でひとつの到達点に達したという感があります。その後「COSMONAUT(以下、COSMO)」もありますが、ここでは次の段階に入っているような気がします。「orbital」まではやはり若さというか、月並みな表現ですが衝動のようなものを感じます。特に「乗車券」などは顕著です。遣り場のない怒りや生きることそのものに対する虚無感、藤原くんの死生観のようなものが強く現れています。

一方で「COSMO」以降はこうした衝動や人生への虚しさといったものは鳴りを潜め、むしろそれらを俯瞰した上で書かれているように見えます。この記事を書いている最中もバンプを聴いているのですが、「COSMO」は過渡期といった感じですね。「モーターサイクル」や「透明飛行船」では、ある種の虚無感とそれを客観視するような歌詞が展開されています。言い換えれば、「orbital」までは一人称視点の歌詞が多く、「COSMO」では一人称視点とそれを客観視するもう1人の視点から歌詞が書かれています。そして「RAY」から現在に至ってはそれらを俯瞰する三人称視点からの歌詞が展開されている、そんな印象を受けます。

 

と、ここまで個人的なバンドの変化してきた点を挙げてきましたが、もちろん変わらない部分があります。それは「歌詞」です。「歌詞? さっき変わったと言ったばかりじゃないか」と思われるかもしれませんが、別にこれは矛盾することではありません。

確かに歌詞の視点は変わってきました。しかしその内部で息づく「生きていく上で伴う時にささやかな、時に大きな痛み・悲しみ、そして喜び」といったものは変わらずにあります。こういったことはもちろん多くのアーティストが歌ってきて、また歌っていることであります。

しかし藤原くん独特の世界や人間、人生の捉え方、言葉の選び方がバンプの楽器を唯一無二のものにしていることは、紛れも無い事実です。これは誰が優れているとか劣っているという話ではありません。彼にしか書けない歌詞がある。そういう話です。

 

記事を書くのにも疲れてきたし眠いのでそろそろ終わります。間違いなどありましたらすみません。ご指摘頂けると幸いです。

 

…それにしても、二十歳そこそこで「ギルド」の歌詞が書けるのはすごいなぁ。久しぶりに聴いたけどびっくりしちゃった。おわり。