犀の角の日記

ブログ、はじめました。そいつで大きくなりました。

ポーカーフェイス

 

むかしむかしあるところに、1人の浪人生(男)がおったそうな。彼は「今年自分がやるべきことは志望校への合格のみ。他は何もいらん」と考えていた。そんなわけで日々黙々と勉強していた。

 

しかしそんな男にも休息は必要である。とはいえ住んでいるのは予備校の寮。娯楽などそこには朝夕のテレビ、友人との僅かな雑談以外なく、男はよく休憩がてら街をぶらつくことが多かった。

 

そんなある日、アーケードをいつもの休憩としてブラブラ歩いていた。歩くのは平日と決めていた。土日祝日は人でごった返すからだ。人混みは嫌いではないが、人と人の間を縫うように歩くのは性分ではなかった。アーケードとはいえ地方都市の平日、人の量はそこまで気にならない。そこである女と出会った。きっかけは落とした財布を拾ったことである。そこで女は男をしげしげと見つめ、お礼ついでにちょっとお茶でもしないかと言う。男はまだ高校を出たばかりの19歳。下心をダダ漏れにして、彼はその提案に乗った。

 

だが彼の予想は全くの見当違いだった。その女は人をおちょくるのが好きな人間だった。彼が浪人生であり男子寮で生活していると聞くやいなや、

「そんな環境にいたら何かの間違いもあるかもね?」「分かんないよ?それぐらいの歳ってまだ性とかハッキリしないからね」「とか言って、実際そうなったら案外ノリノリになっちゃうかもよ笑」

などと口にするのだった。

男は最初生返事を繰り返した。「そんなことはない」「そんな間違いなんて起こらない」などなど。繰り返しながら、己の浅ましさを軽く憎んだ。まさか相手がこんな人をからかうのが好きな人間だったとは…。軽率に付いていくべきではなかった。やはり忌むべきは己が欲かな。そんなことを考えながら彼は返事とも言えぬ返事を返し続けた。

 

それでも女のからかいは止まらない。いくら否定したところでやめない。「そうやって否定する人ほど実は…ってこともあるんだよ?」「寮の同級生が突然部屋にやってきて…キャー笑」。

男は若さ故だろう、そんなしょうもないことでありながら、徐々にイラつき始めていた。そしてついに堪忍袋の緒が切れた。「もううるさい! そんなことないって言ってるじゃん! 俺は別に男に興味なんかないよ!」

 

場所が場所なだけに、声のボリュームは抑えた。だがそれまでの彼の声色とは決定的に違っていた。強く感情の表れた言葉と表情。言い終えて男は思った。「これでこの人も流石に気分を悪くするだろう。そしてこの会話も終わりだ。変な人に会ってしまったのは失敗だが、いい暇つぶしにはなったな」そんなことを考えていた。

 

しかし、女の反応は男の予想だにしないものだった。「…おお。やっと表情豊かになったね。だって君ずっとクールぶってるんだもん笑。君はそっちの方がいいよ」

 

男は暫く言葉を失った。予想が外れたこともある。しかしそれ以上に自分でも意識したことすらなかったところを突かれた気がした。自分でも知らぬ内にできていたカサブタをピリリと剥がされたような感覚。でもそこに不思議と痛みはなく、むしろほんの少しのこそばゆさがあった。

 

 

それからの男と女の付き合いは大して長いものではなかった。彼女からすれば男は「前の彼氏によく似ている男」でしかなく、彼に至っては「性愛として人を好きになる」ということがどういうことかすら分からなかった。もとより長続きするような2人ではなかったのだ。

 

男はそれから紆余曲折あり大学6年生となった。別に医学・薬学系の学部にいるわけではない。単に留年しただけである。今となっては彼女がどこで何をしているのか、知る術もなければ知る気もない(浪人中、彼はガラケーを使用し大学入学からはスマホにした。その際今後使わないだろう連絡先は消した)。

 

それでも男は時折思い出すことがある。「クールぶってるよりも、ちゃんと表情に出している方が君は良い」という彼女の言葉と表情を。思い出しはすれど、なかなか実行することはない。表情に出さないというより、出せないという方が正しい。男はそうやって20年弱生きてきた。それを変えるのはそう容易ではない。

ただ、自分の感情を(それが怒りであれ、喜びであれ、悲しみであれ)押し殺し何食わぬ顔で人と接する時に、その言葉を思い出すのだった。

 

 

※この話はフィクションであり、実際の人物、団体、その他なんやかんやとは関係ありません。