犀の角の日記

ブログ、はじめました。そいつで大きくなりました。

「哲学って何の役に立つんですか?」

今年もオープンキャンパス(OC)が7月末に開かれた。国公立では本学の来場者数(?)は最多らしい。だがそれは、「本学がすごい」ということを直ちに意味しない。なぜなら東北6県の自称含む進学校が、学校単位で生徒をバスに詰め込み、送り出しているだけだからだ。別に本学は入学者数向上のための努力などしていない(それはそれでいいことだと俺は思う)。

中には本当に進学するつもりでOCに来ている子もいる(すごい。えらい。)。だがそんなものはほんの一握りにすぎない。大抵の子は「学食めっちゃ混んでたな〜」という感想を抱いて帰る。そんなものは金と時間の無駄でしかないから、来年からこんなバスツアーはやめろ。やるなら大町西公園への遠足あたりにしておけ。そっちの方が彼らには良い息抜きになるだろう。

 

さて、OCでは高校生の研究室訪問が行われる。俺にとっては、これは大変迷惑だ。2台しかないエレベーターは、昇降どちらにせよ各階で止まる。普段は「もはやこの階に人間など生息していないのでは?」と思わせる9階が人でごった返す。遠足気分の高校生に、お互い聞きたくもなければ、したくもない研究室説明をする。アホか。

誰かが「ポスター発表みたいに(研究室説明)すればいいんじゃない?」と言っていた。「研究室の概要書いたポスターぶら下げて、横に誰かむちゃくちゃ怖い顔した人置いとけばよくね」と。名案中の名案である。来年からはそれで行こう。

 

話が脱線ばかりして一向に進まない。悪癖だという自覚はある。だが治す気はない。ここからが本題だ。ここまで読んでくれた読者諸賢の忍耐強さ、暇さに心から敬意を表する。

研究室説明においては質問タイムもある。曰く、「大学生ってどんなことやってるんですか?」「授業って難しいですか?」「バイトってどれくらいしてますか?」などなど。 ̶い̶や̶そ̶れ̶親̶戚̶の̶大̶学̶生̶に̶聞̶け̶ば̶よ̶く̶ね̶?̶

こうした質問に答えていく。その中に弊研究室特有の「哲学って何の役に立つんですか?」という質問がある。質問の意図は様々だろう。単なる興味。嘲り。あるいは哲学的疑問からの質問(もしそうなら俺はその質問者に足を向けて寝ることは永劫できない)。

そんな質問に対して学部生や院生の方たちが答えていく。「哲学をやると、思考体力がつく」「広い視野を持てるようになる」「本当にそれは正しいのか?と考える力(批判的思考力)がつく」なとなど。その結果、「こうした力や広い視野が、社会に出たときに役に立つ」のだそうだ。

 

「その学問が何の役に立つのか」という素朴な問いは、人文系の学問に広く突きつけられる。昨今のクソつまらん大学再編に関する議論においては顕著だ。金になるかならないか。要はそこが、そこだけが大事なのだ。なぜって、日本は資本主義社会だから。ルターが宗教改革を唱え、ジュネーヴの広場に時計台が設置された瞬間から、あらゆるものは金銭と代替可能な存在となったのだ。そしてなんやかんやあって日本も資本主義国家となった。日本は約90兆円、俺の1時間は900〜1200円、人文系の「それってなぜ?」という疑問には0円。やったぜ、俺の勝ちだ。

 

 

話を戻しましょうね。「哲学は社会に出たときに、どのように役に立つのか」。この質問に対して、「このように役立ちますよ」と答える。その行為自体は別になんとも思わない。むしろ健全なコミュニケーションが眼前で成立している。これは喜ばしいことだ。

それはそれとして、俺ならばなんと答えるだろうかとその光景を見ながら考えた。

「「何の役に立ちますか?」だぁ!?この資本主義に毒されまくった脳みそぶら下げやがって!一昨日来やがれってんでいべらんめぃ!!」かな? いや流石にまずいな。

「…哲学は、何かの役に立たなければいけないのでしょうか。いやそもそも「役に立つ」とは何を意味しているのでしょうか。そこをまずはっきりさせてから一昨日来やがれってんでいべらんめぃ!」かな? いやこれじゃキモさが増した上に、オチが同じだしもっとダメだな。

 

……そんなことを考えながら、「これならいいかな」と思える応答を思いついた。ただし、これは質問者が知的好奇心マシマシな人に限られるのが難点だが、これなら俺も楽しく応答できる。それは「何の役に立つんでしょうね。それについて、一緒に哲学してみましょうか」だ。綺麗にまとまったところで終わり。山田くん、座布団5枚持ってきとくれ。

 

 

 

P.S.

人文系学問に関する議論・批難・ヘイトスピーチはその量・質だけでも多岐に渡るため俺はもうこの話題にはなるべく触れたくない。そんなもんやるだけ時間の無駄だ(この思考様式自体資本主義的ではある)。そんなことより俺は哲学をやる。なぜなら、楽しいから。はい、本当に終わり。