犀の角の日記

ブログ、はじめました。そいつで大きくなりました。

追記:僕の最近のツイートについて

 以前の記事で僕は「僕のやることについて疑問や非難を覚える人もいるだろう」と書いた。これについてやや説明が足りないな、と感じたので、このことについてもう少し詳しく書くことにする。要は本記事は、当の記述に関して、そして僕がやることに関しての自己弁護である。

 

 僕がやっていくことは「既存道徳の批判と修正」である。これには変わりがない。そしてこの行為によって、それを目にした皆さんが疑問や反感を覚えるだろうこと、そうした反応に対して妥協するつもりがないことも変わらない。

 すでに僕らが受け入れている道徳観に対して僕は「待った」をかける訳なので、それに関して「それってどうなの?」「それは違うんじゃない?」と思うのは、ある種当然とも言える(ちなみにだが、僕自身もこうした視点は無くさないように心がけるつもりではある)。そしてそれらの疑問や批判を鑑みながらも、「これはこう考えた方が筋が通る、妥当だ」と考えたならば、その意見を変えるつもりもさらさらない。

 ここまでは前に書いた通りだ。説明不足だったのはここからである。僕は皆さんをとても大切だと思っているが、それよりも自分の研究(研究って言葉を使うのはなんか恥ずかしいですね笑)を第一に行動したい、というのが、あの記事において最も伝えたかったことである。

 皆さんにも大切なものや人たちがいるはずだ。それは大好きな趣味であったり、大切な友人たちや恋人、パートナーと過ごす時間であったりするだろう。もちろん僕にもそういったものはある。音楽を聴くのはもちろん大好きだし、映画やアニメ・漫画を観たり読んだりするのも好きだ。友人たちと過ごす時間も、言うまでもなく僕にとってはとても大切な時間である。恋人の話はするな、それは俺に効く。

 僕が変わってくることができたのは、紛れもなく皆さんがいてくれたおかげというものある。だがそれ以上に、皆さんと過ごす時間は僕にとってとても楽しい時間でもある。なので簡単に手放すことはできない。

 

 しかし、それ以上に僕は、自分の中にある疑問に対して出来るだけ誠実に、真摯に本気で取り組みたい。この気持ちだけは譲りがたい。僕らをこれまで縛ってきた道徳観に対して、自分なりの答えを出すまでは、僕は他のことに熱中できそうにないのである。この点が、あの記事で書き損なった点である。

 とはいえ、自分の生活の全てを研究に費やすような生き方をするつもりも、僕にはない(そういった「何かに全てをかける」という価値観・ものの見方自体に僕は懐疑的でもある)。そうした一点集中型の生き方は、僕にはとても無味乾燥でつまらなさそうに見える。そのため、僕は音楽も聴くしアニメも観る。漫画も本も読むし、食べたいものも食べる。親しい人たちとも、出来うる限り楽しい時間を過ごしたい。その上で、研究にばちこり取り組みたい。

 

 僕は何よりも僕自身のために、楽しく生きたい。いつか来る死の時に「大変なことも多かったけど、なんやかんや生きていてよかったな。楽しかったし、また人間に生まれたいわ〜」と思って死にたい。そのために、以上に挙げたような研究以外のことも、僕の生にとっては必要不可欠なものである。

 とはいえ、やっぱりせっかく生きてるんだから一番面白そうなこと、つまりは研究を僕は楽しみたい。そのせいで僕個人の趣味にかける時間は減るだろうし、他の人たちと過ごす時間も少なくなるだろう。こうした「付き合いの悪さ」に関しての、弁護でもあったわけである、あの記事は。そうして付き合いが悪くなることに関して、僕は「予定を合わせられなくてすまんな…」とは思うものの、自分の方針は変えない。それが俺の忍道だってばよ。

 

 勢いで書いて来てロクに推敲もしていないのでめちゃくちゃな構成になっている気もするが、要は、「たぶんこれから(まあこれまでもだろうけど)付き合い悪くなるだろうけど、ウチのこと嫌いにならんといてや〜」という話である。僕は1人で過ごす時間も好きだが、やっぱり他の人たちと過ごす時間も同じように好きなのだ。

 僕はかなりの気分屋なので、その時の気分で遊びに誘われてもついて行ったり、行かなかったりする。でもその時は「まあ都合合わなかったんだべ」と受け流してください、そしてまた誘ってくれ〜という話でした。おわり。