院試に落ちたりもしたけれど、私はげんきです。
きっと〜目にうつる〜全てのことは〜
第89回アカデミー賞を受賞した謎のハッピーターン型宇宙船に乗ったイカタコ知的生命体との交流を描いた映画こと「メッセージ」〜♪
ゆーとりますけども。皆さんいかがお過ごしでしょうか。僕はこのようにしょうもないことを言うくらいには元気です。
院試の結果を一応確認してきました。といっても成績開示には時間がかかるので、採点した教官とのやりとりにはなるのですが。予想していた通り、やはり足切りがあった外国語科目のドイツ語で落ちたようです。一応他の科目では合格点をくださったとのこと。
なぜドイツ語だと予想できていたかと言うと、通常受験者はこの外国語科目で英語を選択して、余裕で足切りのラインを越えて無事合格するものです。しかし何をトチ狂ったのか僕は、そこでドイツ語を選択してしまったのです。そして文字通り爆死した次第であります。もう足の付け根あたりからバッサリやられましたね。まいったなこりゃ。
これは僕の院試に関する情報不足が一番の原因でしょう。分からないことは人に聞く、周囲の人に頼る等を怠った僕の責任です。しかしこんなところに足切りがあるとは思わんやろ…。鶴の恩返しの鶴もビックリのトラップやでホンマに。
ただ、ドイツ語以外で合格点をもらえていても、やはりもっと勉強すべきことがあるのは明白でした。その点は僕も教官も把握で納得済みです。やっぱりほぼ3年放置してたものを1年でカバーしようとしてたのは無理があったのかもしれんね…。
なのでこの失敗を踏まえて、「外国語は英語を選択すること」「専門分野における“学部レベルの基本事項”は身につけること」「英語にももっと親しむこと」「なんでも自分でなんとかしようとせず、周りの人に助けを求めること」を今年は徹底します。特に最後のはず僕がずっと抱えている問題なので、うまくやっていきたいものです。
加えて金銭面でもなんとか余裕をもたせたいですね。「貧すれば鈍する」とはよく言ったもので、やはり金銭的に追い詰められると視野が狭くなります。そうした視野の狭さが今回の失敗の一因でもあるでしょう。経済面・健康面などなど、諸々の余裕をもって事に当たっていきましょう、といったところです。
追記
「そこまで勉強にこだわってないで、働いたらどうなんだ」という意見もあるでしょう。実際そんなことを言われたのも、1度や2度ではないですしおすし。この意見には「親にあまり迷惑をかけるな、自立しろ」という意味もあるのだろうと思われます。
ですが心配は無用です。僕は自分のやりたいことをやるために、親からの支援はほぼ断っています(やっぱりお金が絡むと色々しがらみが出来ちゃうのでね)。そしてもし今後完全に支援を断たれたとしても、生活費や学費、全て自分で出したって構わないという心づもりでいます(いうて学費はたぶん免除してもらえる見込みが高いのでなんとかなる)。心づもりでなんとかなんのかいなと言われそうですが、健康な体とそれなりの心づもりがあれば、人間意外となんとかなるものです。
就職よりも勉学を選ぶことに関しては、恐らくどうしようも無いです。僕はこれ以外に楽しく生きられそうな道を見つけられないのですから。以前は就活もしていましたが、就活における最も根本的な問題、つまり「何のために自分は働くのか」に対する僕の答えは、いくら考えても「勉強するための金が欲しいから」しか出てきませんでした(そこを捻り出すのが就活だろと言われたらその通りなのですが…)。それで「そんなまどろっこしいことやるくらいならもうさっさと勉学に励めばよくね?」と思い、就活はやめた、という経緯があります。
安定した生活やステータス、愛する人との幸せな家庭よりも、僕はもっと自分の興味関心のあることを知りたいし考えたい。そのためならば他のことを二の次にするのは、犠牲だなんて全く思いません。所詮好きでやってることなのですから。
こういうと変人アピールのように聞こえるかもしれません。しかし、人間ならば誰しも一回きりの人生で、一番大切にしたいものがあるはずです。それは裕福な生活や社会的なステータスだったり、幸福な家庭生活や仕事での成功だったりするでしょう。
もちろん僕も、お金はたくさん欲しいですし、社会的ステータスだって得られるものなら得たい。可愛い彼女や綺麗な奥さんだって出来ることなら欲しい。でもそれよりも欲しいもの、やりたいことがある。それが僕の場合は研究だったという、ただそれだけの話です。
皆さんもそれぞれ自分の求めるものがあるかと思います。こんなクソ同然の世の中ですが、自分なりの幸福に向かってみんなで幸せに生ききってやりましょう。おわり。