犀の角の日記

ブログ、はじめました。そいつで大きくなりました。

音楽のミニマイズ-詩と曲の関係って?-

音楽のミニマム化が進んでいる気がする。

たしかに、「何を今更」かもしれない。会場に於ける演奏しか音楽がなかった時代から録音機器の登場。それはディスクへと形を変え、そのディスクもさらにコンパクトになり、現代では数MBのデータへと変貌を遂げた。各種ストリーミングサービス(SpotifyApple Music、AWA等々)の台頭もあり音楽は所有するものではなくアクセスするものへとなった(ただし、これは音楽に限った話ではない(カーシェアリングサービスを考えよ)し、本記事の主旨とはあまり関係ない)。

 

ミニマム化の流れは止まらない。僕もミュージックシーンを細かく押さえている訳ではないが、それはアーティストの音楽制作の場にもあるように思われる。洋楽では演奏に用いる楽器を極力少なくするのがメインストリームとなり、邦楽ではアルバムの曲数を少なくする動きが見られる。ミスチルアジカンを例に挙げよう。ミスチルは通例アルバムには14,5曲収録していたが、直近のアルバムでは10曲のみとなった。これはミニアルバムを除けば最小の曲数である。全く同じことがアジカンにも言える。彼らも最新アルバム「ホームタウン」では10曲のみだった。

 

そこで素朴な疑問が浮かぶ。「どうしただろう?なんで曲数減ったんだろう?」恐らく曲のストックはあるだろう。各アーティストの音楽記事等を読むと彼らは意図的に曲数を減らしていることが分かる。そこでさらに疑問が生まれる。「なぜわざと曲数を減らすんだろう?」この疑問に対する答えは幾らかあるだろう。だがそれはKREVAのある一言に集約されるように思われる。「わざわざ音楽で言うことじゃねえなって」。

 

音楽は業界としては様々な問題を抱えつつも群雄割拠であると思う。様々なジャンルの曲を聴いて音楽を志したミュージシャンたちが様々な曲を出す。もはや今までのジャンル分けでは通用しないほど多種多様な音楽が日々生まれている。そこにアイドルや洋楽、K-POPも参入しているためある種のカオスである。このカオスの中から如何にして自分たちの曲をリスナーに届けるか?届けられるのか?そうした課題があるのではなかろうか。

 

そこで音楽のミニマイズが用いられる。より質の高い曲を。より完成度の高いものを。より自分たちが伝えたい、発信したいことが詰め込まれたものを。その結果としての曲数の減少。量より質を、ということである。

 

こうした試みは成功しているといえば成功しているだろう。少数の曲で勝負することによりミュージシャンたちはより一曲一曲の完成度を高めることができる。より納得したカタチでリスナーに届けることができるようになる。だがそこでまた疑問が頭をもたげてくる。「それでいいのか?」と。

 

よりメッセージ性の高い曲を求めるあまり、曲数と同時に曲、メロディの削ぎ落としもされていく。Aメロ→Bメロ→サビ→Aメロ→Bメロ→サビ→Cメロ→大サビから、Aメロ→Bメロ→サビ→Cメロ→サビ。これは極端な例かもしれない。僕の思いつきで書いた流れなのでこんな構成の曲は実際にはないかもしれない。だがこれに類すること、あるいはこれ以上に削ぎ落とされた曲はあるだろう。そこで本記事の核となる疑問が登場する。「音楽は歌詞か?」

 

音楽は詩のみからなるのか?メロディは飾りか?グルーヴ感ってなんだっけ?心だけじゃなく、体踊る音楽はいずこ?

 

そんなことをここ最近考えたりもするのです。

 

 

 

追記:もちろんこのミニマム化に逆らうアーティストもいる。パッと浮かぶのがRADである。洋次郎自身がツイッターで述べていたように「敢えてたくさんの曲をアルバムに詰め込んだ」のが彼らの最新盤「ANTI ANTI GENERATION」である。それはタイトルにも表れていることからも明瞭であろう。

 

またこのミニマム化のより根深い問題としては、音楽を聴く人口の減少があると思う。

あるアーティストの固定ファンの割合(=Aとする)=(日本の、あるいは世界で音楽を聴こうと思えば聴ける)人口(〜〜人)×その中で音楽が好きな人の割合(%)×その中でそのジャンルの曲が好きな人の割合(%)×その中でそのアーティストの曲がハマる人の割合(%)×その中でそのアーティストの他の曲も好きになる人の割合(%)。恐らくこれでAが求められるだろう。そしてAを求めるのに必要な数字のいずれもが減少している。それはまた上記のものも含め、多様な原因が考えられる。そうした状況の中でリスナーに伝えるには、よりリスナーとの接地面積を増やすことが上策だと思われる。ではどうすれば増やせるのか?それはより手軽に聴けるようにすること、だと思われる。カオスの中でも少しでも触れてもらうために曲数を減らし、クオリティを上げる。あるいは数打ちゃ当たる戦法を採るか、いずれかである。

 

ここまで長々と書いてきたがどこに着地すればいいのか分からなくなってきた。原点に帰ろう。「音楽はメッセージ性に尽きるのか?」これが原点の問いである。そしてこの問いには恐らく答えはない。僕に言わせてもらえば、そんな答えはあってはならない。無くて構わない。ただ心踊り身体震わす音楽がより多く生まれてくれることを願うばかりである。